バレエ用品の店 バレエパラダイス ショップ

バレエパラダイス
ショップ が載っています

「DVDではじめる
やさしいバレエレッスン」
(ナツメ社)


ストレッチ・呼吸法・
バーレッスンについて
そしてバレエショップ情報・・・
初めてでも安心してバレエを楽しめる情報が詰まった1冊です。

ホーム店長日記
店長日記
店長日記:130
1 | 2 | 3 | 4 | 5 | 6 | 7 次のページ»
2016年12月19日

 

山岸凉子 原画展 「光 てらす メタモルフォーゼの世界」

東京 弥生美術館で開催されていました。

山岸涼子さんの作品  「テレプシコーラ -舞姫-」は、2007年に手塚治虫文化賞マンガ大賞を受賞しています。

山岸涼子(1947-)さんは 1969年にデビュー。

美大では 漫画家を志していることを伏せて 上村松園を学び

俵屋宗達・尾形光琳・青木繁

が好きだった と展示説明にありました。

「テレプシコーラ」より前の作品 「アラベスク」 は 1970年代の 共産体制化のソビエト連邦が舞台の 長編バレエマンガ。

1950~70年代に 流行となったバレエ漫画時代がひと段落し それまで主題とされていた 主人公が困窮や周囲から受ける困難さを耐え忍ぶストーリーが ひと通り描かれ尽くした頃

山岸涼子さんの 「アラベスク」の連載が始まりました。

展覧会での 山岸涼子さんの 展示説明から: 主人公のトゥシューズに画鋲が入れられる  などが定番のバレエ漫画は、すでに時代遅れ。 編集部も難色を示し 「3話で終わらせるなら」 と言われて連載が始まりました。 バレエをスポーツとして描きたかった。

幼少の頃からバレエを習っていた 山岸涼子さんは、バレエを厳しく追及する姿を 正確な身体描写で表現。

読者の人気投票で1位となり 、3話で終了どころか 「できるだけ長くのばして」 と編集に懇願されることになりました。

テレプシコーラ は、 ギリシヤ神話の ゼウスとティタン族の ムネモシュネ(記憶という意味) の  「ミューズ」 と呼ばれる 9人の娘の1人。太陽神アポロンに率いられるミューズ。

山岸涼子さんのバレエまんが  「テレプシコーラ」の 主人公は1月生まれで、 名前は 六花 ゆき 「六花」と書いて  「ゆき」 。

雪のことを  「六花」 ろっか、 りっか と言います。 それは、結晶の形が六角形だから。

2016年09月05日

言葉で現しきれない たくさんの感動 喜び・苦しみ・悲しみとさまざまな想いの涙 国境を越えてたくさんのメッセージを届けてくれた リオデジャネイロ オリンピックが幕を閉じました。

ブラジル リオデジャネイロ出身の バレエダンサー マリシア・ハイデ(Marcia Hydee 1937-)は、 バレエマザー・テレサを演じました。

マザー・テレサ (Mother Teresa 1910-1997) 、本名は アグネス・ゴンジャ・ボヤジュ (Agnesë Gonxhe Bojaxhiu) 。マザー・テレサを描いたバレエマザー・テレサと世界の子どもたち (Mother Teresa and the Children of the World)」 モーリス・ベジャール (Maurice Bejart)作品、2002年10月ローザンヌ、ボーリュー劇場で初演されました。

この作品は

女優バレリーナといわれるマリシア・ハイデの役への卓越した解釈力と ハイデ自身の個性とが 遺憾なく発揮された舞台といわれています。

マザー・テレサの言葉:

すべての人は愛し愛されるために創られました ヒンドゥー イスラム ユダヤ キリスト教徒 人種や宗教の別なく 男性も女性も 子供も神の子なのです 人は皆 特別な才能を与えられています 芋の皮しかむけないならそれを立派にやるのが神への愛なのです 問題は何をするかやその大きさではありません その行動にどれだけ愛を込めるかです。

2016年9月4日 マザー・テレサが カトリック教会 最高位「聖人」に列せられる列聖式が バチカンのローマ法王庁サンピエトロ広場で行われました。

参列者は約12万人。 マザー・テレサは 1910年にマケドニアに生まれ 16歳で修道女になり 1929年にインドに渡り 1950年からコルカタで貧しい人々の救済活動に尽くし 1979年にノーベル平和賞を受賞。 1997年にコルカタにて87歳で亡くなりました。

列聖式の翌日9月5日は マザー・テレサの命日。

ランシスコ法王の言葉: 「慈しみの心は 彼女の仕事に味を与える塩であり 貧困と苦しみのために 流す涙もなくなった 大勢の人たちの 闇を照らす光だった」

マザー・テレサが亡くなった直後から 聖人に列するための手続きを 早めるようにとの声が強まり 002年10月に 当時のローマ法王ヨハネパウロ2世が1つ目の奇跡を認定して「福者」に列し 2016年3月にフランシスコ法王が2つ目の奇跡を認定し 列聖式が行われることになりました。

2016年06月03日

NHK Eテレ SWITCHインタビュー 達人たち (2016年4月23日放映より) 元宝塚トップスター柚希礼音さん 世界的バレエダンサー上野水香さん

お2人は 同じ頃バレエコンクールに参加していました。

柚希礼音さん: バレエの 全幕物がキライだった それは、お芝居がイヤだったから。 身振り手振りばかりで 心が、ココが全く動いていなかった。 宝塚に入って 芝居を学ぶと 芝居は全部に共通している。 踊りが前より好きになった。

上野水香さん: 学校があまり好きではなくて バレエのお稽古をすることのほうが好きだった バレエを習い始めたとき 当時の先生に、 「どこかでバレエを習っていたの?」 と聞かれた。 1993年 ローザンヌ国際バレエコンクールで スカラシップ賞を受賞し モナコの プリンセス・グレース・クラシック・ダンス・アカデミーに留学 1995年に主席で卒業。 2年後の1995年に主席で卒業。

柚希礼音さんの発声練習は、 バランスボールに乗って。 自分の声の一番低音部よりも さらに低い音域まで出すために。 ボイストレーナーの先生と ペットボトルをパスしあう キャッチボールをしながら 発声のトレーニング。

バレエのメイクより更にインパクトがある 宝塚のメイクについて 柚希礼音さんのお話: 宝塚のメイクは、照明が当ってのメイク。 一般的な舞台メイクでは、 照明が当たると 顔が・・・何もない!ということになってしまう 照明が当たって ちゃんと顔があるように見えるメイクでなければならない。

上野水香さんは モーリス・ベジャールの 「ボレロ」を 踊ることを許された 唯一の日本人女性。 ベジャールから シルヴィ・ギエムが踊る 「ボレロ」の映像が送られてきて 一ヶ月後に ベジャールの前で踊り OKをもらった。 2007年に 80歳で他界した モーリス・ベジャールが 上野水香さんに 「ボレロ」を指導する映像が 紹介されていました。 ベジャールの隣には ベジャールバレエ団 ダンサーだった 小林十市さんが。

柚希礼音さんにも 「ボレロ」があります。 トップ就任2年目の2010年1月に主演したショー 「BOLERO-ある愛-」

柚希礼音さんのお話: 宝塚音楽学校では 躾、礼儀作法を厳しく教えられる。 音楽学校の上下関係から品格が養われる。 舞台では自分の表現をするのだけれど その奥には 音楽学校で躾られ 上下関係から学んだ きちんとしたものがある。 そして舞台では みんなでよくなろうとする思いがある。

上野水香さんのお話: 大きなテクニックをみせる場面での 身体的に非常に大変な中での笑顔は どのようにして生まれるのか という柚希礼音さんの問いに応えて 音を聞いて踊っている中で ここでこういう表情をしたい という思いが自然にでてくる。 やっているうちに 音と芝居がマッチしたときが すごくいい。 そうするとお客さんにも伝わる。 大きなテクニックの場面は 確かに大変だけれど それは気持ちの高揚を表し 喜びの表現でもある だから 自然と笑顔になる。

この上野水香さんのお話を受けて 柚希礼音さんも: 頭でっかちで役作りをしているときは うまくいかない。宝塚引退後に 開いたコンサート 自分が 舞台を引っ張っていくのだという思いではなく 自分自身が 舞台を楽しんでいないといけないという思いになった。 宝塚の舞台と違い コンサートでは 舞台という一線を越えてお客様と関われる さらに一丸となれて 気持ちも通じ合える。 引退後 どうあればいいのか 考えあぐねて・・・ やっと 自分らしくていいんだ 素のままでいいんだと気づいた。

上野水香さん:上(トップ)で居続けるためには 常に高度なものを求められる 自分もさらにレベルアップしたものを見せたい それが厳しい。 気をつけなければいけないこと 注意されることは ずっと一緒・・・ 基礎が大事。 上野水香さんのお稽古場で 上野水香さんは 大事な足先を守るために 足首まですっぽりおおう ブーツシューズを履いていました。 リスのマークは ご自分で縫いつけたそう。 シルヴィ・ギエムの バスケットシューズについて お2人が、そうそう!と。

ローザンヌ国際コンクール スカラシップ賞受賞後 モナコ プリンセス・グレース・クラシック・ダンス・アカデミーに留学し 主席で卒業後 日本に帰国したのは、 日本で踊ることにこだわった 上野水香さんの思いから。 上野水香さんのプルメイステル版「白鳥の湖」 パートナーは 現ロイヤルバレエプリンシプル マシュー・ゴールディング(MatthewGolding ) 上野水香プロデュースバレエ Jewels from MIZUKA そして、 「絶対バレリーナになりたい と願い取り組んでいる子どもたちの 力になりたい」 と。

2015年12月21日
シルヴィ・ギエム (Sylvie Guillem)
のファイナルツアーが始まりました。


ギエムの言葉を
公演プログラムからご紹介します。



je crois pouvoir affirmer que,
si Rudolf Noureev n'avait pas ete Directeur de l'Opera de Paris
lorsque jetais sur les "starting block" du corps de Ballet,
ma vie aurait ete differente.


いまとなって言えることは、

私が
「スターティング ブロック」とも言える
パリ・オペラ座の
コールド・バレエの一員だった頃、

ルドルフ・ヌレエフが
芸術監督でなかったとしたら、

違う人生になっていたであろうということです。






シルヴィ・ギエムは、

1981年に
パリ・オペラ座バレエ学校公演で初来日


1984年12月29日
パリ・オペラ座での
初主演 「白鳥の湖」終演直後に

当時の芸術監督
ルドルフ・ヌレエフ
(Rudolf Nureyev)により

19歳にして
エトワールに任命され

そして1985年
ヌレエフと初来日し

「白鳥の湖」(東京バレエ団)に客演しました。




je crois pouvoir aussi fermement a ffirmer que si
je n'avais pas en cette rencontre avec le Japon
a 16 ans, ma vie aurait ete differente...

16歳の頃
日本と出会っていなかったとしたら
違う人生になっていた



ギエムが愛する日本の文化が綴られています。

東京の街中で目にする着物姿の女性
上野 牡丹園の和傘の冬囲い
自転車で散策した倉敷の街
京都の苔寺
竹箒
竜安寺
福岡で初めて体験した陶芸
懐石料理

生け花の花籠
織物
和傘
和紙の職人芸


ギエムの海外初体験は16歳のときに訪れた日本。
「まるで別の惑星にたどり着いたようで興奮し、強い印象を受けた。この30年間、日本を旅し、職人に会い、少しでも日本の洗練された美意識を理解しようとして、人間としても成長できた」


引退ツアーの締めくくりが日本になったのは偶然のタイミングだったという。引退理由について、「人生にはすべて始めがあり、終わりがある。その一環です。私は最後のときも自分で決断したかった。けがや意欲の低下でやめることは決してしたくなかった。遅過ぎるより、早過ぎる方がいい」

シルヴィ・ギエムの舞台を観ることができたこと、そしてシルヴィ・ギエムに感謝をこめて・・・・・・・Je n’arrive pas à trouver les mots pour vous remercier.
2015年08月21日
NHKスペシャル
「戦後70年 ニッポンの肖像
―戦後70年を越えて―日本人は何ができるのか」

2015年8月15日(土)放映


世界から送られる言葉の中に


シルヴィ・ギエムから日本への
メッセージがありました。



戦後70年を越えた今

日本人が
日本と世界の 「これから」 のために、
一体何が出来るのかを考える番組


世界が期待する日本人の役割について語られました。





日本は 原爆や震災という
大惨事に見舞われました



しかし日本人は自制心を持ち



混乱の中でも
隣人と共存する勇気を持っていました



皆さんには
その力があることを自覚してほしい



苦しい経験から
教訓を得ている日本人は
世界の見本になれるはずです

disipline
living together
respect neighbor

great in away to exist also for people next to you....


の言葉が耳に響きました。



シルヴィ・ギエムは、

東日本大震災の被災地

盛岡市と福島県いわき市で


10月31日 岩手県民開館 
11月 1日 いわきアリオスホール にて



「ボレロ」 (モーリス・ベジャール作品)

の公演が行いました。



シルヴィ・ギエムの話から:



長年
日本の皆さんには
温かく迎えていただき、

恩返しをしたいという気持ちです。



「ボレロ」は

観た人が前向きになり
勇気づけられる
パワーのある作品なので


被災者を勇気づけるとともに

精神的に皆さんを支えたい。




ベジャールが生きていたら
同じことをしたと思う。


ベジャールと一緒に来たという思いです。





原子力発電は、

日本に限らず
世界中が

将来のために

代替エネルギーがないのか真剣に研究すべき時期に来ている。
2015年07月10日

なぜ私は踊るのか?

20代の頃はずっと迷っていました。

でも、踊りたいという欲求は 理屈ではないとわかってから 迷うことはなくなりました。

 

私が 踊り続けている目的は

踊りを通して何ができるのか という疑問を

自分で少しずつ解明していくことですから。

 

日々の稽古というのは

ただ身体を動かすのだけではなく

技術的な思考や

動きに対する

感性の引き出しの数を

ふやすためのものです。

 

振付家の指示を

どれだけ受け止められるのか

自分なりに表現できるのか。

 

だから

どのダンサーにとっても

信頼できる教師の存在は不可欠なものだし

自分に合った振付家や教師との出会いが

ダンサーの個性を

どんどん変えて行くことになるのです。

 

神経が潰れて

右足が上がらなくなって

治すために必要なことを

積み重ねていけば

治るのだということを実感しました。

 

体は確実に変わっていく。

つくられた体でなければ

美しさは表現できません。

 

訓練されて つくられた体だから

きれいに動けるわけで

いくら条件がよくても

訓練されていない体は

見ればすぐにわかります。

 

私はダンサーですから

踊っている時にしか

自分の力を発揮することができません。

 

だから 常に

劇場に足を運んで下さったお客様に

作品の世界に

スッと入って

楽しんでいただけるような

踊りを目指しています。

 

歌舞伎でもバレエでも

やっぱり

観てみないと

わからないものだと思うんです。

 

特殊なんですけど

観てわからないと

というものじゃなくて

観ないからにわからない。

 

劇場に出かけて

その臨場感を楽しむという

何を観るにしても

劇場って華やかだから

 

オペラでもバレエでも歌舞伎でも

 

そこに足を踏み入れると

なんか気持ちが華やぎますでしょ

 

だから

切符を買うということは

そういうことに対しても払っていて

全てを含めて観るということだと思います。

 

 

「和楽」 創刊号 2001年 ロングロングインタビュー 十月 草刈民代 より

2015年04月30日

谷桃子さんの訃報が伝えられました。 享年94歳。

2009年に創立60周年を迎えた谷桃子バレエ団

日本のバレエ界の礎を創り牽引されてきた 谷桃子さん。

 

たくさんの画家が、その姿を描いています。

奥村土牛(1889-1990)画
「踊り子」 (1956年)は、院展に出品されました。 山種美術館でポストカードを購入することができます。

この絵は、 週刊誌 「サンデー毎日」  の表紙を飾りました。

 

奥村土牛談:

「ふだんの谷さん は優しくおとなしい方だが
バレエの衣装をつけると みちがえるばかりキリっとした迫力があった。」

谷桃子さんは 完成した作品を見て、

「気品があって素晴らしい、 私がモデルになったということなんか どうでもいいと思いました。」

 

 

日本を代表するテノール歌手「われらのテナー」と呼ばれた 藤原義江(1898-1976) のお話から:

「パリで バレエ・リュスを見た。 アンナ・パブロヴァ、ニジンスキー・・・ だが何を踊ったか覚えていない。 ただカルサヴィーナに夢中だった。

バレエ
はたくさん見たが 夢中になった

カルサヴィーナを思い出させてくれたのは、 日本に帰ってきてから見た 谷桃子さんだった。」

谷桃子さんの踊りは、 舞台の上で音楽が歩いたり、飛んだりしているようだった。」

 

 

アンデルセン童話の 『赤い靴 を基に バレエダンサーが辿る悲劇を描いた不朽の名作

ロバート・ヘルプマン、 レオニード・マシーン、 モイラ・シアラー、 リュドミラ・チェリーナ が携わった 映画 「赤い靴」(1948年)

主演の モイラ・シアラー(Moira Shearer)は、 1942年サドラーズ・ウェルズ・バレエ団  現ロイヤル・バレエ団) に入団、この映画で女優デビュー。

バレエシーンは、 ロバート・ヘルプマン(Robert Heopmann)が振付、 靴屋のパートでは振付だけでなく自らも踊っています。

プリマバレリーナのボロンスカヤ役は リュドミラ・チェリーナ(Ludmilla Tcherina)。

 

モイラ・シアラーから 谷桃子さんに 撮影で使われた赤いトウシューズが贈られています。

谷桃子さんのお話:

バレエダンサーの苦しみ、と言いますか。 踊り手としての人生について考えさせられる映画です。

レルモントフは踊りを一筋にやらせたいのに、ヒロインは音楽家と結婚したい。 彼女は悩みます。

 

彼女の悩む姿は、非常に考えさせられます。

そして、この映画は綺麗なバレエのシーンが本当に多いです。 そこも、ぜひ楽しんでほしいです。」

 

谷桃子さんは、 2歳のときに観た、 アンナ・パブロバの神戸公演でその表現力に打たれ、 家の蓄音機で音楽が流れるとバレエの真似をして踊っていたそうです。

52歳、東京文化会館 「ジゼル」 が引退公演。

 

「今は、若いダンサーの稽古を見ていると、 自分も踊っているような気持ちになります。」

「身長150cm弱、 小さくスタイルもよくないので どうすれば大きく見えるか

稽古して芸を磨いていけば大きく見えるかしらと

稽古を重ね 動きを人の2倍にする努力をしました。」

 

ご冥福をお祈りいたします。

 

 

【参考文献:バレリーナへの道〈65〉バレリーナ谷桃子の軌跡】

2015年01月20日

テレビ NHK BS hi 「輝く女 吉田都」

2005年に放映された番組が ハイビジョン特集として再放送  1月24日(土)午前1時55分から

当時ロイヤル・バレエ団 プリンシパルだった  吉田都さんの

バレエダンサーとしての日々の様子   レッスン  お買い物風景  ご自宅でのインタビュー   周囲の人々が語るさん   さんの好きなもの・・・。

吉田都さんは 1983年 ローザンヌ国際バレエコンクールで スカラーシップ賞を受賞し、 イギリス ロイヤルバレエ・スクールに留学。

1984年 バーミンガム・ロイヤル・バレエに入団し 1988年 プリンシパルに昇格

1995年 ロイヤル・バレエ団に移籍

2010年6月29日東京文化会館での 「ロミオとジュリエット」が ロイヤル・バレエでの最後の公演となり 一つの区切りとなりました。

英国ロイヤル・バレエ 芸術監督 モニカ・メイスンのお話

「才能・・・難しいわね 私たちが、ダンサーの中に見つけ出さなければならない。 とても早い時期に。 集団の中にいても秀でるものを。 しかも、ダンサーは成長していく。 テクニック、人間性、知性、音楽性、 それらを体で吸収するのよ。 」

1991年「DANCE & dancers」誌で行う 読者投票で 吉田都さんは ダンスオブザイヤーに選ばれました。

吉田都 さんのお話: それまでは、こちらの人(イギリス) になることばかり考えていたけれど・・・ バーミンガムロイヤルバレエ時代 ゲストでオーストラリアバレエに客演したとき バレエ 「マダムバタフライ」 を演じるダンサーたちが 一生懸命に日本人、東洋人になろうとしている様子 ・・お化粧、仕草 などが 日本人の自分から見るとかえっておかしく見えて ふと気づいた。 自分が心地よい表現、音のとり方をしたいと思った。 形だけをならっても、とても同じにはできない。 自分の中で感じるものをだす方が、 自分として納得できるから。

 

ピーター・ライト卿 (Sir Peter Wright)のお話 :サドラーズにいた時からには、 を見ずにはいられない 舞台上で自然な存在感があった。 天性の感覚があって、 それが輝いている。 音楽性に優れていることは、バレエ学校時代からわかっていた。 最高のバレリーナは、 ダンス・音楽・振付が一つになって、 音楽を感じ、形にする どんな役を踊っても完璧はない。 そう思ってしまったら成長はとまるから。

サドラーズ劇場 客席後方で ピーター・ライト卿の左隣で聞いていた 吉田都さんは ピーター・ライト卿の言葉を ひとつひとつかみ締めるように、 一言 "That's my work."と。 それは、自分自身に言っているようでした。

吉田都さんが語ったこと トウシューズについて:皮のインソール部分を 自分の足にフィットするようにカットする際、刃物での切断だと、鋭利な切断面が足にあたり痛いので 手で破るのがちょうどいい。 トウシューズの準備にはとても時間がかかる。 合うトウシューズがないことはとてもストレス。 いいトウシューズがある それだけで 安心感 がある。 リハーサルも大切だけれど 自分の足に合ったトウシューズが準備できているということは、  さらにとても重要なこと。 若い頃、 足を悪くしたのは、トウシューズが合わなかったから。 トウシューズが合わないと、ふくらはぎなど足に痛みが出る。 プラットホームのバランス ボックス部分のバランス それぞれのバランスと、 全体のバランスがとても重要。 足が、トウ シューズの中の下の方へはまりこんでしまわないで 高い位置にあり 指がコントロールできる状態。 トウシューズで ただ立っているだけでないく まっすぐに微妙にバランスをとっていられる それがとても重要なこと。

2014年12月29日

 

モーリス・ベジャール振付 バレエ  「ベートーヴェン 第九交響曲」 

NHK BSプレミアムで 12月22日(12月21日午前0時5分から) 放映がありました。 ルートヴィヒ・ヴァン・ベートーヴェン (Ludwig van Beethoven 1770-1827) 9番目の最後の交響曲 「第九」の

モーリス・ベジャール(Maurice Bejart 1927-2007)によるシンフォニック・バレエ 「踊るコンサート」と言われたバレエ。

ベジャールバレエは 思想を身体表現で語る語るメディア。

≪第4楽章≫ 耳に覚えの深いフレーズが始まるシーンは、ベジャール・バレエ団オスカー・シャコン(Oscar Chacon)と、これまでの各楽章のソリスト 柄本弾(東京バレエ団) 大貫真幹(おおぬきまさよし ベジャール・バレエ団)ジュリアン・ファヴロー(Julien Favreau ベジャール・バレエ団) が奏でます。

ズービン・メータ指揮 イスラエル管弦楽団と ベジャール・バレエ団、東京バレエ団のダンサーによって 何層も重なる躍動の第九。

プロローグ は、ニーチェの「悲劇の誕生」から抜粋した、アポロンとディオニュソスの二元性に関するテキストが、ベジャール亡き後のベジャール・バレエ団芸術監督ジル・ロマン (Gil Roman)によって朗唱されました。

ディオニソスの魔力のもとでは、人と人との信頼関係が揺るぎないものとなる。しかも人間に邪魔され、敵意さえ持たれてきた自然が人間同士の信頼を祝福するようになるのだ。

大地は進んで人間に作物を捧げ、猛獣たちは穏やかに大地を歩き続ける。ディオニソスの車は華やかに飾られ、その車には豹や虎までが従うようになるのだ。

歓喜よ! 我が兄弟よ、心を持ち上げよ! 高く! より高く! もちろん脚も忘れず! 高く 高く持ち上げよ!

人は歌や踊りによって、自分が一層高度な共同体だと示そうとする。

人は日常の生活を忘れてしまい、それを証明しようと、 今まさに舞い踊ろうとしている。 体には魔術めいた雰囲気が漂い、体内では超自然的な何かが響きわたる。 人は自分が「神」なのだと感じる。 その時は既に、人は人でなくなり、芸術作品となるのだ。

今こそ踊れ! 背から背へ いたずらな波の背に乗って。 新たな踊りを創る者だけが救われるのだ、さあ踊ろう! 芸術が自由で、知識が喜ばしいものとなるように。 風の踊りに加われない年老いた美徳の鳥よ、 座ったままの偽善者よ さあ、我らが天国から出てゆくがよい! 我らが栄光のために、花を刈り取り、 冠のために葉を飾ろう。 聖人や娼婦に入り混じり、 トルバドゥールのように踊ろう。

人々よ、神と共に、我らの踊りを!

ベートーヴェンの華々しい「歓喜の歌」を一枚の絵に描いてみるがよい。

想像力を存分に駈け巡らせながら、人々が感動の戦慄を覚え、地面にひれ伏すのを凝視するがよい。

そうすれば、ディオニソスの陶酔に触れることができるだろう。そのとき、奴隷は自由の身となる。

そして、人々の間に作られてきた、堅牢で敵意あふれる障壁はすべて打ち砕かれるのだ。

今や人々は、宇宙的調和の教えによって結合し、和解し、融合していると感じるばかりではない。

同胞と自分自身を平等の立場で見るようにさえなってきている。まるで世俗の鎖から解き放たれるかのように......。

まるで神秘の源に見えるものは、もはやちぎれた鎖の輪とでも言うかのように......。

【フリードリヒ・ニーチェ「悲劇の誕生」(1872)より】

2014年11月10日

 「情熱大陸 菅井円加 バレエ界日本人が大活躍! 期待の二十歳苦悩と煌き」 (MBS 8月31日(日)放映)

菅井円加さんの 現在の活躍を紹介していました。

世界的なバレエコンクールなどでの 日本人の活躍が伝えられています。 菅井円加さんは 2012年 第40回 ローザンヌ国際バレエコンクール 1位になりました。

このときの審査委員長は、 ジャン=クリストフ・マイヨー (Jean-Christophe Maillot)

吉田都さんも 審査員を務められました。

ジャン=クリストフ・マイヨー メダル授与の言葉は、 「You are welcome.」 でした。
これは 菅井円加さんの 「Thank you.」 に応えての言葉でしょうが、 通常  日本語の 「どういたしまして」は  「You are welcome」 と訳されます。

ジャン=クリストフ・マイヨーの 「You are welcome.」 は、 過去のローザンヌ国際バレエコンクールでの受賞者であり、 バレエの世界で活躍している審査員が、 コンクールでPrizeを勝ち取った者へ贈る  バレエの世界への 「Welcome」 という意味が こめられた言葉だと思いました。

ジャン=クリストフ・マイヨーは、 1977年、ローザンヌ国際バレエコンクールでローザンヌ賞を獲得。

ジャン=クリストフ・マイヨーの言葉: 「ローザンヌ国際バレエコンクール 40周年を記念し、 かつての入賞者だけが審査員を務めたが、 我々は、かつて生徒の側であったので 彼らの立場やストレスがよく理解できた。 だからこそ彼らを励まし心を込めた審査ができたと自負している。」



番組では、菅井円加さんの 現在の活躍を紹介していました。

2012年 ローザンヌ国際バレエコンクールで 1位を獲得した後、 さまざまな紙面で取り上げられ コマーシャルにもフューチャーされました。

ドイツ北部 ハンブルグ(Hamburg)にある 2011年秋に設立された ジョン・ノイマイヤー (John Neumeier)が監督を務める ハンブルクのジュニア・バレエ団の ナショナル・ユース・バレエ (Bundesjugendballett) に 2012年9月 研修生として入団。

所属しているのは、8人。 19歳から22歳まで ウクライナ、フランス、スペイン、アメリカ、スイス・・・ 世界各国からのダンサー、 研修期間は2年。

ナショナル・ユース・バレエ団は ハンブルク市内の様々なスポットで 団員たちのパフォーマンスを行います。 アルスター (Alster)湖のほとりでも。 海外公演も多く 病院や 刑務所の慰問でのパフォーマンスも行われます。

菅井円加さん: 「足を留めて観てくれる人がいる それが励みになる。」



さまざまな演目で 中心に立つことが多い菅井円加さんのことを 仲間のダンサーは: 「円加は怪物ね。人間とは思えない。」と。

リオデジャネイロでの ドイツ・ブラジル文化交流記念公演 「In the Blue Garden」 では、 心のどこかに闇を持っている ぽっかりと穴がある 未亡人の役を。 そして、 「少年時代の記憶」では、少年になりきり 7分間のソロを務めました。

芸術監督  ケヴィン・ヘイガン(Kevin Haigen)のお話: 「円加は、ロシア人のように手足がながいわけではない エキゾチックな踊りではロシア人に負けてしまうだろう だが踊り始めるととても繊細。」



足に故障を抱える 菅井円加さん。 元パリ・オペラ座エトワール モニク・ルディエール (Monique Loudières)からの指導で 「怪我をした自分を責めるのは間違い。」とのアドバイスを受けました。



菅井円加さんは番組ラストシーン  リオの浜辺の波打ち際で遊ぶ仲間たちを見ながら 「自分は生きる寿命が短いと思う」 と静かに語っていました。 それは、今を強く生きているということ。自分と向き合いながら持てる力を尽くして真剣に歩んでいるということを表しているのだ  と、思いました。



菅井円加さんは 2014年9月から ハンブルク・バレエ団に所属します。

2014年09月24日

小澤征爾さんと

2014年
2月 ローザンヌ国際バレエコンクールで1位

4月 ユース・アメリカ・グランプリ(YAGP)
シニア部門1位

となった


二山治雄さんとの共演の舞台が NHK ニュース9で紹介されました。



「サイトウ・キネン・フェスティバル松本」

9月6日(土)
キッセイ文化ホール(長野県松本文化会館)


演奏 :サイトウ・キネン・オーケストラ
指揮 :小澤 征爾
バレエ:二山 治雄(白鳥バレエ学園)

奏でられた音楽は、

モーツァルト
ディヴェルティメント ニ長調 K334(320b)より 第3章 メヌエット


公演前の記者会見でのお2人のお話をご紹介します。


小澤征爾さん:

踊るのって足が大事なんだよね。
顔とか見るんじゃないんですよね?

あなたの足を見ながら指揮をすることになると思うんだけど

二山さん、どう?


二山治雄さん:

・・・
(足だけではなく)
からだ全体(を見てください)...




小澤征爾さん:

僕の信念のようなものがありまして、

(クラシックの名曲といわれるものを)
子供のときに聴かせると
何かいい影響があるんですよ。


そのためには我々が
精神込めて音楽をやらないとダメなんだな。


かたちだけやったんじゃダメ。


(今回 サイトウキネンフェスティバルの中で
子どものための演奏会ベートーベン9番 と 
ヘンゼルとグレーテルを演奏する)学生に


精神を込めて素晴らしい演奏を毎回しなければダメだと言っている。


このサイトウキネンフェスティバルで

若い演奏家を教育すること
若い演奏家と一緒に演奏できること

そういう(若い演奏家の)教育もできるといい。


それは、
僕がいなくなってもそれを繋げてもらいたい。




二山治雄さん:


ローザンヌから帰ってきてすぐに
サイトウキネンフェスティバルへの出演依頼の話がありました。


まだ(コンクールの事後)収拾がついていないときだった。

(お話をお受けすることになって)
自分自身もお客さんも楽しんでもらえるよう(に舞台を務めたい)。


そして、
小澤征爾さんと  サイトウキネンの
長く古い歴史とその名に恥じないように務めたい。




小澤征爾さんにとって

バレエと合わせてのオーケストラの指揮は初めて。



二山治雄さんにとって

生オーケストラの奏でる音楽で踊るのは初めて。



2人の
最初のリハーサル、



小澤征爾さんは
ダンサー二山治雄さんを前に


まずはピアニストと
曲のイメージ、テンポ、曲想を音あわせ


そしてオーケストラを指揮し

二山さんが踊ります。



が・・・

曲のテンポが早く
踊りと合いませんでした。



日本では、
残念ながら

バレエ公演での
生のオーケストラ演奏

生のピアノ演奏での
バレエレッスンは、

あまり多くありません。


二山治雄さんの動きと

小澤征爾さん指揮の音楽が合わなかったことに

小澤征爾さんは、

「僕が悪いんだよ」と。



バレエ、踊ることにあわせた演奏
ダンサーの動きと沿う演奏を


ご自身のタクトに振り返って
追求するまっすぐな姿勢が印象的でした。


そして生演奏で踊ることについて、


生演奏には

レコーディングにはない深みがある


生演奏には

生きているという素晴らしさがある

と。



そして迎えた本番の舞台。


二山 治雄さんのお話:


音の強弱とか
小澤先生が指揮をふった時
音楽の抑揚があって

自分の中で踊りやすかった。

幸せな時間でした。



小澤征爾さんのお話:


僕らは踊りを後ろから見ているから
首がぐるぐる回っちゃうよ

そして、

今後何回も経験する

オーケストラでの舞台の
1回目を僕らがやらせてもらい光栄だ。



「サイトウ・キネン・フェスティバル松本」は、


故 斎藤秀雄さん(1902-1974)の薫陶を受けた
小澤征爾さんを中心に

国内外の一流の演奏家が
長野県松本市に集まり


およそ1か月にわたって
オーケストラやオペラなどの公演を繰り広げる

クラシック音楽の祭典。

1992年から毎年開かれています。



来年から名称が

「セイジ・オザワ 松本フェスティバル」
となります。


2014年07月28日
冷たい炎の画家
「ヴァロットン展」

裏側の視線。


三菱一号美術館
2014年9月23日まで



フェリックス・ヴァロットン
Felix Vallotton(1865-1925)は、

スイス ローザンヌに生まれました。


日本の浮世絵の影響を受け、
所有していた 喜多川歌麿の作品も展示されています。


色彩とデザイン性
隅々まで計算されているような

油彩も木版画のような印象があるように思いました。



ヴァロットンは、

ルナールの
「にんじん」
「博物誌」

の挿話も描いています。


「博物誌 白鳥」

彼は泉水の上を

雲から雲へ

白い橇そりのように滑る。




なぜなら、彼は、

水の中に生じ、動き、

そして消え失うせる綿雲だけに食欲を感じるからである。




彼が望んでいるのは、

その一きれである。




そして、いきなり、

雪の衣を纏まとったその頸くびを突っ込む。


それから、

女の腕が袖口そでぐちから現われるように、

彼は首を引き出す。




なんにも取れない。

彼はじっと見つめている。

雲は、愕おどろいて姿を消した。




一度醒さめた迷夢は、

忽たちまち甦よみがえる。



なんとなれば、

雲は間もなく姿を現わし、



彼方かなた、

水面の波紋が消えて行くあたりに、

また一つ雲が出て来るからである。




軽い羽蒲団はねぶとんに乗って、

静かに白鳥は漕こぎながら、



その方に近づく……。




彼は水に映る空むなしき影を追うて疲れ、

雲ひときれを捕える前に、

おそらくはやがてこの妄想の犠牲となって、

死に果てるであろう。




おい、おい、何を言ってるんだ……。


彼は潜くぐる度ごとに、

嘴くちばしの先で

養分のある泥の底をほじくり、

蚯蚓みみずを一匹銜くわえて来る。






彼は鵞鳥がちょうのように肥ふとるのである。




ヴァロットンの「白鳥」の絵もありました。
2014年06月19日

2014FIFA サッカーワールドカップ が開幕しました。

バレエ作品の中のサッカーア ビアント -だから、さよならはいわないよ-

牧阿佐美バレヱ団創立50周年記念

自然を愛し、自らを犠牲にする 美しい精神をもったカナヤとリヤムの 時空を超えた幻想的な愛の物語 ・・・人間と自然の共生。

芸術を幅広く愛した 高円宮憲仁親王殿下の三年式年祭に合わせた 世界初演のバレエ・ファンタジー

台本:島田雅彦  作曲:三枝成彰  演出・振付:牧阿佐美 振付:三谷恭三、ドミニク・ウォルシュ

初演 2006年3月16日 Bunkamuraオーチャードホール

初演のキャストは、 カナヤ : 吉田 都    リヤム : ロバート・テューズリー (Robert Tewsley)   冥界の女王 : 草刈民代

 

サッカーシーンがあるのは、 【1幕5場 二度と戻れぬ街】 

リヤムは、 町を分断している「嘆きの壁」の門を開けるため、 門番、市民にサッカーの試合を申し込みむ。 そして、 シュートを決め、門を開け、 リヤムはカナヤと 再会する。

 

ボールによって運ばれるカナヤとリヤムを結ぶ手紙。

ボールが一つあれば 世界ができ、コミュニケーションが広がる。 サッカーの始まり。

世界平和の象徴が、 高円宮憲仁親王殿下がお好きだった サッカーのボールに託して描かれています。

 

ロバート・テューズリーのお話:

台本作りから始めて舞台を創るという意味でも、 今回の作品は非常に貴重。 3人(牧阿佐美  三谷恭三 ドミニク・ウォルシュ)のコラボレーションで振付が行われるという点も素晴らしい。

今の国際社会は紛争争が絶えないので、 そういう中にあって「ア ビアント」のテーマである 愛の大切さは決して忘れてはならず、この意味でも非常に意義深い作品だと思います。

 

吉田都さん

池袋コミュニティーカレッジ 「吉田都の世界」 2012年11月3日 でのお話から:

日本にも イギリスのロイヤル・バレエ団のような国が支えるバレエ団があればいい、

今は新国立劇場があるが、多くのダンサーが、海外に行ってしまう。

日本での、ダンサーの地位向上が図られてほしい。 海外と日本ではあまりに差がある。

私だからできることを伝えたい。 やりたいことがたくさんある。

マラソン、登山、語学、バレエ以外の他の踊り、 そして サッカー

身体のバランスが崩れることはしたくない。

年齢、体力的に、 心拍数をあげることが負担になってしまうが サッカーは、 効率よくスタミナを上げることができる、ボールに届かないかもというプレッシャーでも心拍数があがる。

 

 

2008年の ウィーン ニューイヤー・コンサート

ヨハン・シュトラウス2世(Johann Strauss II)の 《ポルカ・シュネル》作品214 (トリッチトラッチポルカ Tritsch-Tratsch-Polka)の バレエがありました。

指揮者は、ジョルジュ・プレートル 初めてのフランス人指揮者。

トリッチトラッチは、おしゃべりということ。)

トリッチトラッチのバレエは、サッカー

2008年6月 スイス・オーストリア共催 サッカー欧州選手権開催への思いが込められた サッカーバレエ

 

演じるのは、主審とイレブン。

アップテンポの2拍子のリズム ポルカ ポルカ(Polka)とは、 チェコの言葉で、 ポーランドの女性という意味です。

2014年04月28日

ラ・シルフィード」 と レ・シルフィード

2014年3月NHKホール 「バレエの饗宴」で 吉田都さんが踊ったのは、 「ラ・シルフィード

マリインスキー・バレエ団に日本人・アジア人として初めて入団した 石井久美子さんが マリンスキー劇場で踊ったのは、(NHK BS1 国際報道2014 LOUNGEコーナー 4月22日放映放映)

 

ラ・シルフィード」 (La Sylphide) la は単数の定冠詞

レ・シルフィード」 (Les Sylphides) les は複数 の定冠詞

 

ラ・シルフィード」(La Sylphide) ロマンティックバレエの代表作といわれる作品。

1832年にパリ オペラ座で初演 振付は、フィリッポ・タリオーニ(父) シルフィード マリー・タリオーニ(娘)により 初めて ポワント、トウシューズが初めて用いられた作品。

「ジゼル」「白鳥の湖」とともに三大バレエブラン (Ballet Blanc;白のバレエ)に数えられる ロマンティックバレエの代表作。

音楽はジャン・マドレーヌ・シュナイツホーファ(タリオーニ版)

ブルノンヴィル版 初演1836年 デンマーク王立劇場 ピエール・ラコット版 初演1972年 パリ・オペラ座

舞台はスコットランドの農村、 婚約者エフィとの結婚式を控えたジェイムズは、 妖精シルフィードに心を奪われてしまう。
親戚や友人たちが祝福に訪れるが、エフィを愛するグエン(グァーンとも)は彼女を諦められない。 魔女マッジはエフィに「結婚の相手はジェイムズではなくグエンである」と予言する。
結婚式が行われる中、シルフィードが指輪を奪い去り、ジェイムズは彼女を追って森へ。
シルフィードは、触れようとするとすり抜けてしまう。 ジェームズは、肩にかけると飛べなくなるというショールをマッジからもらい受ける、それが呪いのショールであ ると知らずシルフィードの肩にかけると、 シルフィードは、苦しみ、背中の羽が落ち、ジェイムズの腕の中で息絶える。

エフィとグエンの結婚式の鐘が鳴り、 すべてを失ったジェイムズは嘆き息絶える。



レ・シルフィード」(Les Sylphides) フレデリック・ショパンのピアノ曲を 管弦楽に編曲したので

別名 「ショピニアーナ」(Chopiniana)といわれています。

1907年に マリインスキー劇場で初演 ミハイル・フォーキンが、 アンナ・パヴロワのために振付け ストーリーはなく、 森の精(シルフィード)と 詩人(ショパンとも)が月明かりの下で踊り明かす様子、

ショパンの音楽をバレエで綴る作品。

1909年6月 バレエ・リュス第1回公演(パリ・シャトレ座) アンナ・パヴロワ、タマラ・アルサヴィナ、ワツラフ・ニジンスキーの出演で 上演されたのが現在のかたちとなっています。

2014年02月10日
ソチオリンピック
開会式のバレエ


ロシア ソチ
オリンピック開会式

オリンピックスタジアムの舞台で綴られたスペクタクルな絵巻物で描かれたロシアの歴史。


19世紀前半の世界的激動の時代のロシアが

トルストイの「戦争と平和」で
そしてバレエで演じられました。

ナターシャ・ロストフ:
スヴェトラーナ・ザハーロワ (Svetlana Zakharova)

ナターシャの父
ニコラス・ロストフ伯爵(ナターシャの父):
ウラジミール・ワシリーエフ(Vladimir Vasiliev)


アンドレイ・ボルンコンスキー公爵:
ダニエラ・コルスンツェフ (Danila Korsuntsev)


小説では肥っているとされている
ピョートル・キリロヴィチ・ベズゥーホフ伯爵:
イワン・ワシリーエフ (Ivan Vashrieve)

は、体格の厚みも演出し、ワイングラスを片手にジャンプのマネージ。


ヨーロッパの歴史を変える
ナポレオンの侵攻の始まりは、

フロックジャケットと白い鬘で正装した人々が作り出す渦は、
登場人物だけでなく、全ての人々を呑み込んでいくようでした。





映画 「戦争と平和(War and Peace)1956年」
でのナターシャは、


オードリ・ヘップバーン(Audrey Hepburn)でした。



アンドレイ・ボルンコンスキー公爵は、
メル・ファーラー(Melchior Ferrer)


ピョートル・キリロヴィチ・ベズゥーホフ伯爵は、
ヘンリー・フォンダ(Henry Fonda)。



もう一つのバレエは、
青い青い「白鳥の湖」


フープを纏った白鳥たち。

鉢かづき姫のような
ジェリーフィッシュのような
クリオネのような

深海を思わせる
青く光る
白鳥の湖


オデットは、
ディアナ・ヴィシニョーワ(Diana Vishnova)


やがて白鳥は

平和のシンボル
一羽の 鳩に


1年前
2013年2月に

ディアナ・ヴィシンヨーワが


スイス・ローザンヌで
「ボレロ デビューを飾ったとのニュースがありました。


ロシアのバレエダンサーとして初めて「ボレロ」を踊った

ボリショイ劇場での
マイヤ・プリセツカヤ(Maya Plisetskaya)
の「ボレロ」から40年、

モーリス・ベジャールとロシアの架け橋が
復活したと。



ベジャール亡き後の後継者ジル・ロマン(Gil Roman)の言葉:

「誰が「ボレロ」に相応しいか、
直感でしかわからない。」


ワガノワ・バレエ学校を

記録上最高の成績で卒業し、
1994年ローザンヌ国際バレエコンクールで
金賞を受賞した


ディアナ・ヴィシニョーワ。
2014年01月22日
新年の幕開けを告げる
ウィーン・フィル・ニューイヤーコンサート

2014年の指揮者は、
ダニエル・バレンボイム
(Daniel Barenboim)

演奏する曲目について
「家庭画報 1月号」に掲載された
インタビューから:


ダレン・ボイムが設立に携わった
アラブ諸国出身の若き音楽家達による

ウエスト・イースタン・ディヴァン管弦楽団
(West-Eastern Divan Orchestra)の結成1周年を記念し

ヨハン・シュトラウスIIの
「エジプト行進曲」



ドナウ河沿いの町
クロスターノイブルクの修道院設立900年を祝して

シュトラウスIIの
「ウィーンの森の物語」


2014年に生誕150年を迎える
リヒャルト・シュトラウスの
歌劇「カプリッチョ」からの
「月光の音楽」


今回のバレエは、

アシュリー・ペイジ
(Ashley Page)と

ヴィヴィアン・ウエストウッド
(Vivienne Westwood)の 
コラボレーション


ひとつめのバレエ

ヨセフ・ランナー(Joseph Lanner)の
ワルツ「ロマンチックな人びと 作品167」1840年初演

ドレスの華やかさがひときわ豪華に見える振付、

振付を生かした
素材の美しさと描くラインが見事な
ファッショナブルなドレス、

舞台である
リヒテンシュタイン宮殿の
ロマンチックゴールドの中で

ロマンチックに輝くワルツでした。


そしてラストシーンは、
金色のゴージャスな額縁に縁取られた
宮殿のお部屋に飾られている
1枚の絵に・・・・・・

という映像の妙ある演出。



2つ目のバレエ
レオ・ドリーブ(Leo Delibes)
「バレエ音楽“シルヴィア”から
“ピチカーティ・ポルカ” Pizzicati」

追いかけっこ のような
かくれんぼ  のような

音楽と振付と
チェックのチュチュスカートが
軽やかな


リヒテンシュタイン宮殿の
廊下と階段でのバレエ

ダンサーの足元、

トウシューズも
ヴィヴィアン・ウエストウッドのチェックデザインの
アーガイルを引き立てる
濃い色の編み上げトウシューズ


ラストシーンは、
ペトルーシュカのよう。


ウィーン・フィル・ニューイヤーコンサート2014の

アンコールは、
いつものように

「ワルツ “美しく青きドナウ” 作品314」

こちらも衣装は、
ヴィヴィアン・ウエストウッド
(Vivienne Westwood)

ドレスは、


ヴィヴィアン・ ウエストウッド
ゴールドレーベル
「アブセンス・オブ・ ローズ」
プリント。


ボールルームダンサー2人は、

踊りながら客席ホールへ



ホールの通路を
スイスイ泳ぐような
ワルツのステップで

客席がより一層華やかに彩られたラストでした。




2013年12月17日
クリスマスソングのバレエレッスンCD が入荷しました。

バーレッスン編

ウォーミングアップI  
Hym to Joy 歓びの歌 ベートーベン

ウォーミングアップII 
It came upon the midnight clear  天(あめ)なる神にはみ栄えあれ 

プリエ 
Silent Night Holy Night きよしこの夜

バットマン タンデュI 
Mary's boy Child マリアの御子

バットマン タンデュII 
Jesusu loves me this I know 主われを愛す

バットマン タンデュI ジュテ 
The little drammer boy リトルドラマーボーイ

バットマン タンデュII ジュテ 
We wish you a Merry Chiristmas クリスマスおめでとう

ロンデ ジャンブ ア テール 
Cradle Hymn 子守唄

バッドマン フォンデュ 
白鳥の湖

バッドマン フラペ 
What a fellowshipm、What a joy divine 主の御手に頼る日は

ペティ バットマン 
Jingle Bell ジングルベル

ロンデ ジャンブ アンレール 
Silver Bell シルバーベル

デヴェロッペ 
White Christmas ホワイトクリスマス

グラン バッドマン 
Sunshine サンシャイン

リンバリング 
Santa Clause is coming to town サンタが街にやってきた



CDの3曲め プリエ は、

「きよしこの夜」です。


♪ き~よし~

こ~の よる~

ほ~しは~ ひ~かり~



クリスマスに多くの人がくちずさむこの歌は、


1818年のクリスマスの数日前、
オーストリア オーベルンドルフ (Oberndorf)
ザルツブルグの近郊、ドイツとの国境に近い村の教会で

クリスマスのために生まれました。




オーバンドルフの村には、

歌の誕生を記念して


「静かな夜の教会 (Silent Night Chapel)」

が建っています。




牧師補の

ヨーゼフ・モール(Josef Mohr 1792-1848)

が、詩を書き



教会オルガニストの

フランツ・グルーバーフランツ・グルーバー(Franz Xaver Gruber 1787-1863)

が作曲。




原曲の

ドイツ語の歌詞

「STILLE NACHT HEILIGE NACHT」


Stille Nacht, heilige Nacht!  
Alles schlaeft, einsam wacht  
nur das traute hochheilige Paar.  
Holder Knabe im lockigen Haar.   
Schlaf in himmlischer Ruh,     
Schlaf in himmlischer Ruh!     

Stille Nacht, heilige Nacht!    
Hirten erst kund gemacht,      
Durch der Engel Hallelija      
Toent es laut von fern und nah:   
Christ der Retter ist da!      
Christ der Retter ist da!      

Stille Nacht, heilige Nacht!    
Gottes Sonh, o wie lacht      
Lieb' aus deinem goettlichen Mund,  
Da uns schlaegt die rettende Stund',
Christ, in deiner Geburt!      
Christ, in deiner Geburt!      



「静かな夜 聖なる夜(きよしこの夜)」

静かな夜、聖なる夜
全ての者が眠っていて、唯一起きているのは
愛する高き神聖なる一組のみ
巻き毛の可愛い男の子
聖なる安らぎの中で休めよ
聖なる安らぎの中で休めよ

静かな夜、聖なる夜
羊飼いたちが最初に生誕を知った
天使がハレルヤを歌うのを聞いて
その声はここかしこで鳴り響いていた
救い主のキリストが今ここに、と。
救い主のキリストが今ここに、と。

静かな夜、聖なる夜
神の息子よ、ああどのように笑うのか
そなたの神聖な口が愛らしい
その時救われた時が現れた
キリスト、今生まれ出し!
キリスト、今生まれ出し!



クリスマスのメロディとして、

広く親しまれている、

「きよしこの夜」

賛美歌(109番)でもあります。






2013年11月08日
日本シリーズ 楽天優勝おめでとうございます。

開幕24連勝 
2度目の沢村賞を受賞し、
今後の動向も注目される

楽天 日本シリーズ制覇の立役者といえる

田中将大投手。

TBS 人体科学ミステリー!
アノ有名人のカラダを最新科学で大解剖SP
(2013年9月26日放送)で、


その強さの秘密は、

・腕のしなり

・肩甲骨の柔らかさ

・しっかりした下半身

であると
筑波大学の川村卓准教授が分析されていました。

田中将大投手
は腕のしなりを使って投げている。

それは、
肩甲骨のまわりの筋肉が柔軟だから。

140km/hの球速を出せる投手は、
肩甲骨に、第2関節以上まで指がはいるほど
筋肉が柔らかいのだそうです。


2013年春
第85回記念センバツ高校野球
に出場した

大和広陵高校(奈良県)では、

野球の練習に
バレエトレーニングが組み込まれています。

若井康至監督が取り入れたバレエメニュー、
指導は、奈良県内でバレエ教室を主宰する真由美さん。

メニューのひとつ、

足元は、ルルベで

背中は、
肩甲骨全体を使うように、動かし、
背中、肩甲骨から腕を動かす。

このバレエトレーニングは、
体幹、インナーマッスルを鍛え、

けが防止のための柔軟性
バランス感覚を養い、
股関節の可動域を広げ

また、心を落ち着かせることができるとのこと。

(NHKニュース9 3月18日より)




パリオペラ座 バレエ学校では、
ベルトラン・バレナ教師が

肩甲骨全体から腕を伸ばす、
腕だけでなく
背中から腕を意識するようにと

指導する様子が、

地球ドラマチック
エトワールをめざして
~オペラ座バレエ学校の子どもたち 
制作:日仏共同制作 2012

(NHKEテレ 3月16日放映より)

で紹介されていました。



田中将大投手
その強さの秘密

もう一つの視点

・しっかりした下半身


田中将大さんは、

ブルペンで

左足をあげた状態で、
投球フォームのバランスをチェック。


2007年と2013年の投球フォームを比較すると、
2013年の方がバランスが安定している。



上半身に頼って投げると、
上半身が先に回転し、
後から下半身がついてくる投げ方になる。


しかし
下半身がしっかりしていると、

上半身を回転させる必要がなく、
ぎりぎりまでリラックスでき、

最後に下半身を回転させ、
その力で投げる事が出来る

とのこと。


しっかりした下半身をつくるために、
足を鍛える

セラバンド


バレエパラダイスショップでお取扱いしています。
2013年09月24日

ドイツ ローテンブルクで見つけた

白鳥のぬいぐるみ 3,150円(税込み) (ショップおすすめ商品からご覧ください)

 

ミュンヘンの ニンフェンブルグ城は、 (Schloss Nymphenburg) ニンフの城という意味。

バイエルン選帝侯の夏の離宮でした。

ルードヴィヒ2世 (König Ludwig II 1845-1886)はここで生を受けました。

ベルサイユ宮殿庭園を手本に設計された20ヘクタールの庭園では、多くの人が三々五々、散策を楽しんでいました。 前庭の水辺には、 白鳥が 岸を歩いたり、静かにゆったり湖面に浮かんでいるように漂っていました。

お散歩中の、ドイツらしくよく躾けられた犬が近づいてくると、 全身を硬直させてシャーっという静かな声で威嚇。 白鳥のエネルギーを観ました。

バイエルンの  シュバンガウ (Schwangau) シュヴァンガウは 「白鳥の里」という意味。

ホーエンシュヴァンガウ城 (Schloß Hohenschwangau) の、中央の頂には、 白鳥が置かれています。

ルードヴィヒ2世は、 幼年時代をこのホーエンシュヴァンガウ城で過ごし、 自身が命じた ノイシュヴァンシュタイン城の建設が進む様子をホーエンシュヴァンガウ城から眺め、落成の日を心待ちにしていたそうです。

シュヴァンガウは、 リヒャルト・ワーグナーのオペラ「ローエングリン」白鳥伝説ゆかりの地。

シュヴァンガウのマイバウム(英 メイポール)は、 てっぺんに静座しているのは、白鳥

街にたなびく赤白のストライプの旗に描かれているシンボルの白鳥は、やはり威嚇するような強さをもっています。

2020年 東京でのオリンピック開催が決まりました。

1972年のオリンピック開催都市 ドイツ ミュンヘン。

市の中心地マリエンプラッツのの市庁舎入口に、オリンピックを記念したレリーフ 彫版がありました。

その向かい側にある姉妹都市の市標の中段左側は札幌です。

同じ1972年に冬季オリンピックが開催され、同年の冬夏のオリンピック開催をきっかけに姉妹都市となりました。

エレベーターで昇ることができる高さ85mの塔から、北方向に、ミュンヘンオリンピック記念のタワーが望めます

2013年07月19日

NHK World WAVE
News Cafe
イスラエル“最高峰のダンス”に挑む 日本人ダンサー
(7月12日 放映)


柿崎麻莉子さん 24歳

イスラエル
バッドシェバ舞踊団
Batsheva Dance Company


2012年8月から団員に。


柿崎麻莉子さんのお話:

「日本では毎日踊れる環境がなかった、

自分の中で自分の身体を動かすことに喜びを感じられる。」

 

舞踊団ディレクターは、

麻莉子
運動能力、柔軟性、パワーが優れている」
と評価しています。


柿崎麻莉子さんは、
香川県出身
高校まで新体操の選手
県の代表 高校総体に出場。

大学生のときバッドシェバ舞踊団の来日公演を観て独学でダンスに取り組み、


競争率50倍のバッドシェバ舞踊団入団試験に合格しました。

 

イスラエルでは国をあげてコンテンポラリーダンスの普及に努めています。


プロの舞踊団は子供向けの公演も行い、
費用は国の補助金で賄っています。

イスラエルの子供たちは、
小さい頃からコンテンポラリーダンスに親しむ環境があるのです。


柿崎麻莉子さんと
ルームシェアをしている団員のシャニ・リッヒさん(19歳)は、

 

イスラエルでは、
男女とも18歳になると兵役の義務があるので、
週に3回軍隊の務めをしています。

 

シャニ・リッヒさんのお話:


「いつテロに巻き込まれるかわからない  それが現実、  だから今こそダンスをがんばりたい」


柿崎麻莉子さんのお話:

「死に直面している
それが激しい踊りにつながっている

イスラエルには、
死を思うから生を強く感じるという言葉がある
みな、それを強く理解している

自分はまだこの国にいる準備ができていなかったと感じる


生命の躍動感をどう表現するか・・・が自分の課題。


ダンスを通して、成長していきたい。」

 

 

イスラエル大使館文化部 

内田由紀さんのお話:
(Performing Arts Network Japan HP)


イスラエルの文化について:

イスラエル自体が1946年にできた若い国なので、ユダヤ人の歴史は長いが
イスラエル・カルチャーと厳密に定義するなら現代文化しかないとも言えます。


建国の時に世界中から集まってきたユダヤ人が持ち帰ってきた文化と、
中東の土着の雰囲気と一緒になって出来ているのが

イスラエルの国固有の文化です。


90年代の終わりから2000年代まで、
日本におけるイスラエル文化の認知度を上げる牽引車となってきたのが
コンテンポラリーダンスとクラシック音楽。

 

世界中に散らばっていたユダヤ人は、
イディッシュ語やラディーノ語、
あるいは各地の言語習慣の中で生きてきましたが、

イスラエルに来てからは
ヘブライ語という1つの言語にまとまりました。


ダンスは、言葉の違いを越えるものとして
イスラエルの文化的な血脈になっていけるものだという思い入れがあった。

 
最初は「キブツ」という砂漠や湿地を開拓していく農業共同体の中から、


各国から持ち帰ったダンスを摺り合わせて
共通の文化として共有していこうという気持ちが芽生えました。


因みにフォークダンスの「マイムマイム」はイスラエルが発祥。

 

イエメン系のユダヤ人の舞踊などの影響があったり、
バレエのような伝統的な師弟関係が存在しなかったことなど、
様々な要因から多彩な表現が生まれ

イスラエルにおけるコンテンポラリーダンス発祥の原動力になりました。

コンテンポラリーダンスは 表現手段としてもすごく身近で、ダンスと庶民との距離が近い。

劇場には兵隊も老人も子どももダンスを見に来て、声援を送っています。

 

90年代にバットシェバ舞踊団
が活躍するようになると、

 

政府も「これは国際的に価値が認められる」とし

学校教育にもダンスが取り入れられ、
国も助成金を付けて海外に売り出すようになりました。

ただ「国立のダンスカンパニー」というわけではなく、
部分的に助成金を出しているだけです。

 

1990年にダンスの拠点となる
スザンヌ・デラール・センター

(Suzannedellal Center)ができました。

 

若いダンサーたちをサポートし、

「インターナショナル・エクスポージャー」
海外の業界関係者を招いて
国内カンパニーの新作をまとめて発表させる機会つくるなど、
世界との架け橋にもなっています。


日本にイスラエルコンテンポラリーダンスが初めて紹介されたのは
1995年のキブツ・コンテンポラリー・ダンス・カンパニー、


その後、1997年にバットシェバ舞踊団が来日して
大きなインパクトを与えました。


来日公演の「アナフェイズ」(細胞分身)」がNHKで放送された
イスラエルのダンス全般に関心が向けられました

 

 

 

 

 

 


 

1 | 2 | 3 | 4 | 5 | 6 | 7 次のページ»
  Powered by おちゃのこネット
ホームページ作成とショッピングカート付きネットショップ開業サービス